あっという間に3月突入です。
毎日をそこそこ丁寧に生きているつもりなのですが、なぜこんなに時間の経過を早く感じるのかなと考えてみました。すると、私の場合は、ネットの利用が一つの原因ではないかと思ったの書いてみることにします。
なんでそんなに忙しい?
家事、子育て、仕事と毎日やることはたくさんあります。とはいえ、優先的に処理していかないと生活が回らないので、諦めというか、慣れもあり「そんなもんだよね」という感覚です。
そのような生活の中で、一番煽られるのは何かなと考えてみたら、、、ネットからの情報ではないかと思いつきました。
仕事が一段落、家事が一段落というタイミングで、「メールを開こう」「SNSをチェックしておこう」とネットにつながると、これでもかーというほどの情報にさらされます。
未開封のメールやメルマガの山。どんどん流れてくる友人知人の投稿。休憩中だったのに、ほっとしている時間だったはずなのに、なんだかいつも以上に追われる気がするのです。
その状況は休憩中でなくてもありました。スマホをちょっと開けば、未読や更新可能件数などの数字の羅列。あ、これも見なきゃ、確認しなきゃ、こっちにも来てる。一気にタスクの山です。
更新と新情報の嵐
世の中には、「知っておきたいこと」「知っておくべきこと」はたくさんあります。
母親としてもそうですし、仕事をする上でもそうです。かつては、新聞や書籍を入手して得ていた情報、図書館に出向いて調べ物をすることもありました。よっこいしょと頑張って情報を取りに行かないと、入手できなかったですよね(いつの時代だって話ですがw)
今は、パソコンやスマホの検索機能で、じゃんじゃん情報が出てきます。
ありがたい時代になりました。
ただ、最近はデマや嘘も多く存在します。古い情報と新しい情報も混在します。どれが正しく、どれが自分の必要なのかを見極めるための「時間」と「能力」が必要になりました。これが何気に疲れるのです。
情報過多の時代ゆえの、必須スキルなのでしょう。自分が持ち合わせた時間と能力で、処理していくのが大変で。。。
そんな毎日が積み重なると、「やらなきゃ」とか「あとでやろう」と思ったネット関係のことが溜まりに溜まり、なんだから疲れている自分を感じます。
もしやこれって、ネット疲れ? SNS疲れ? そうなんだ!
気づきました。
気軽さが相手の時間を奪う
LINEなど、メッセージ機能を持ったSNSがコミュニケーションツールとして定着しました。
これらのツールでは、文章を短く書いて送る傾向があります。「了解しました」が「りょ」だけでよかったり、もはや文章ではないことも当たり前です。
気楽にやり取りができる点が、若者から広い年代にまで浸透した理由でしょう。楽さ、気軽さ・・・それらに私は困り始めました。
いちいち待つ
短い文章でポンポンやり取りをすることが多くなったゆえ、意外と返信を待つ時間に拘束されるのです。既読がつくかな、つかないかなと確認のためにもそう。
即レスを求められているから、というよりは、自分の中で「早く決着したい」「完了させておきたい」というタスク処理感覚からくる状況のようです。
言葉足らず
私はLINEとFacebookメッセンジャーを利用しています。画面が吹き出しになっているので、長い文章で送ると読みにくいし、嫌がられます。そういう時はメールを使いたいのですが、相手がメールを使ってくれないケースも増えてきました。
必要事項のやり取りをするにも、LINEとFacebookメッセンジャーです。すると、思ったことを感覚でバンバン送ってこられることで、理解に手こずることが多くなりました。いわゆる、言葉足らず、その場感覚なのです。
往復回数が多い
言葉足らず、その場感覚を、推測して返答する。そこでまた勘違いが生じ、確認のやり取りが増える。
言葉足らずのメッセージゆえに、理解できず確認の返答をする。相手から返信が来て、ようやく理解でき、今度は正式に返信をする。
その場感覚のメッセージゆえに、だらだらと長いやりとりが続く。グループの場合は1時間に及ぶこともざら。
まとめて送ってくれればいいのに、小出しに「あの件は?」「こっちは?」「じゃあ最後に」と送ってくるので、最終的には長〜い投稿のやり取りとなることも日常的です。
情報がまとまっていないので、何度も「どこに書いてあったけ?」と振り返るようになる。最近では、こんな風に思いっきり時間を取られています。
もうここまでくると、相手に合わせたツールを使い、相手に気を遣ったやりとりをすることが、いいのか悪いのかわかりません。だって、自分は完全に疲弊しているのですから。
伝えたこと、受け取ったことを覚えていない
一番まずいのは、軽快なやりとりゆえに、記憶に定着しない場合があるという点です。
「言ったよね」「送ったよね」「あのことだよね」という内容を、また聞かれる。そうすると、確認の時間が増える。「●月●日に送ってますよ」というメッセージをまた送ってやりとりが始まる。このパターンが本当に増えました。
重要なことを軽快なやり取りに挟まれるのも注意が必要です。書いて送った側は覚えていますが、受け手はたくさんの情報に飲み込まれ忘れます。文字でやり取りしているのに、言った言わない水掛け論に近い状況が生まれるのです。
これらは、気軽にやりとりをするようになったゆえの、弱点なのかなと思うようにりました。
・きちんと文章にする
・推敲してから送る
・返信をじっくり読んで理解する
・理解してから返信する
これ流れがきちんとなされていれば、大丈夫なはずです。しかし、今や面倒臭い作業になったのかもしれません。
当たり前が当たり前でなくなる価値観の変化。そんな時代の変化到来なのかもしれません。
ネット時代の情報過多と価値の変化
なんでこんなに時が早いんだろう?
忙しいんだろう?
と考えた時、私の生活では以上のような「ネット時代の情報過多と価値感の変化」が浮き上がってきました。
ネットから離れれば、「もう1年の1/6分の一が過ぎましたね」「早いものでもう3月です」なんて文言も浴びるようにあちこちで目にすることはなかったでしょう。
それで気分的に追われることなどなく、自分のペースを維持できていたかもしれません。
情報を受ける割合が多いほど、自分がブレていくんだなと知りました。このまま飲み込まれていってはまずいです。
気楽に利用出来るネットやツールで、タスクが山積みになり、処理に追われ、煽られたり焦ったりする生活は本末転倒。だからといって完全に距離を置くのでもなく、ネットとは程よい関係でいたいですよね。
それには、気軽になんて言ってられず、しっかり対面せねばいけないのかなと思うことも(笑)
情報を受け取ること、処理ややりとりに、実際疲れているのは確かです。
なんとか見直していけたらいいなと思います。